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History

昭和25(1950)年3月当時の様子

雪深い北陸の地、富山県高岡市。

戦後、高岡関野神社や御旅屋通り、片原町にヤミ市が混在する中20社以上もの繊維問屋が軒を連ねる県下でも有数な商いの町、守山町に西島商店は誕生した。創業当初は女たちがミシンを踏みながら消防服やセーラー服を縫製し、男たちがバイクに積んで行商に走り廻った。

そうして糸へんにまつわる数多くの繊維製品を取り扱う繊維問屋として発展し北陸3県は元より日本全国から商いに訪れる人々が行き交う場として発展していった。

昭和30(1956~1964)年代当時の写真

昭和40(1966~1974)年代当時の写真

昭和45(1970)年11月。大阪万博の好景気に乗り事業拡張のため創業当時の土蔵造りの建造物からいち早くRC建築の地上4階のビルヂングに建替え、西繊ビルが誕生した。そして社名も西島繊維株式会社と変更。

ビル内に学生衣料、女子セーラー服の縫製工場室を設けて製造・卸売り販売事業所となる。

平成12(2000)年4月当時の様子

この30年の間には第2西繊ビルの建設、また本社を高岡問屋センターのビルに移転しながら事業活動を行う中、従来の繊維業に加えてインテリア内装業、建設業、不動産業へと拡大を図ることとなる。そしてこの50周年の節目の年には社名も西島株式会社へと変更を行った。

しかし長引くバブル後の不況や物流の変化に伴う時代の流れの中、問屋業の存続は厳しくなる一方で、さらに繊維業界も大きく苦戦を強いられることとなっていく。

平成19(2007)年3月当時の様子

努力の成果が報われずに何年もの業績不振が続く中、苦渋の決断を選択する時を迎えたこの春。

多くの従業員との決別。そして繊維業からの撤退。

闇の中から希望の光が見い出せないままに何年もの歳月が流れる。

それまでは会社の1部門であった不動産・ビル管理業、土地建物取引業、テナント業などを主たる事業として執り行っていたが、ふと気が付くとオーナーやその家族も年齢が進みこの西繊ビルも老朽化が激しく取り壊しの選択が大きくなる日々。

とりわけて、日本遺産に認定された高岡市の重伝建地区である守山町に大きくそびえ立つこの古い空きビルが土蔵造りの町並みの景観を邪魔しているのではないだろうか?

保存会の重鎮からは目障りな存在と思われているのではないだろうか?

自問自答の思い悩む日々。

平成29(2017)年3月

築50年近くになろうとするこのビルヂングの、存在価値を認めてくれる仲間との突然の出会い。

今後さらに後の世代に遺していくために、今できることの可能性を見つけた希望の春。

 

 

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